百戦錬磨の”敏”。
こんばんは。
今日は台風一過で朝からいい天気!
やっぱりすがすがしいってのは良いです。
やっと雨が上がりましたので溜まってしまっていた小規模工事に取り掛かりました。
沼津市のカトリック教会様からご依頼を頂いていたマリア像の塗装工事です。
ちょっと記憶が定かでないくらい前に塗替えをしましたが塗装膜がひび割れてあちこちが剥がれています。
腫れ物に触るような感じで剥がれた部分をコリコリとケレンしているとE君が「親方〜。マリア様にだっこされているのがイエス様ですよね?イエス様ってなんでピースしてんすか?」
「こりゃピースじゃね〜だろ〜。ピースじゃ。だいたいイエス様がイェ〜ってピースするか〜?するわきゃね〜だろ〜。」
「そりゃそ〜ですよね〜!」
「あのな〜」
時々超ド天然な一面を見せてくれます。
まずは剥がれた個所をケレン工事で剥がしたのち、汚れを落として塗装膜が剥がれてへこんだ部分をパテ処理しました。
明日はパテ処理した部分をサンドペーパーで平らにかつ滑らかにして塗装工程に移っていきます。
先日、古い”敏”(和竿師、竿敏作の竿の通称)の和竿を入手しました。
追い継ぎの3本継ぎの和竿です。
追い継ぎとは手元の竿の途中で別の竹を継ぐ手法を用いて作った竿の事を言いますが、その理由は様々で注文主が竿を握った時に手元の竿が細くて握りにくいとか、手元の竹が細いとか、手元の竹の強度が足りないとか、全体的な曲がりのバランスが良くないとかの理由が挙げられるそうです。
現在ではピトンというステンレスやチタンで作られた竿掛けに竿を置いて(置き竿釣法)竿が根元まで曲がるアタリを愉しみますが何十年も前はピトンという道具が無かったために竿尻を岩の割れ目にねじ込み、直に磯の上に置いて釣りをしていたので竿には無数の傷が残っています。
この辺の言葉でいうと「傷しょっか」。
今では江戸和竿は貴重かつ高価な釣り道具として扱われて磯の上に厚手の布を敷いて、その上でガイドに道糸を通したりする人までいてとても丁寧に扱われています。
日本にグラスロッドが登場したのは昭和20年代後半と聞いています。
その頃は竹竿に比べて起きが悪い、ヘナヘナ、ペチャペチャ、柔らかすぎてアタリが取りにくい等々の酷評が相次ぎまたそれまで竹竿を愛用していたつり人にとっては熟練の竿師が一本一本精魂込めて作った竹竿と化学製品で作られた釣り竿とは全く似て非なるものと軽蔑視した向きがあり一気には釣り界に広がらなかったようです。
が、その後は各釣り具メーカーも品質改良に努めてそれとともに日本は一億総レジャー化の波が押し寄せて高度経済成長の大量消費時代に突入し大量生産化された安価で手に入りやすいグラスロッドが釣り場を埋め尽くすまではそう時間が掛からなかったことでしょう。
ちょっと話が逸れましたがこの和竿は以前の持ち主の方が魚釣りの道具としてガンガン使っていたのでしょう。
でもガイドやリールシート等はそれほど腐食痕がないのできっと釣行後の手入れには気を使っていたのではないかと推測されます。
何十枚、もしかして何百枚もの石鯛を釣り上げてきたかもしれない”百戦錬磨の敏”であることには間違いないでしょう。
昔から塗りに凝った和竿も沢山世に出てきていますが竿敏の竿は平均に実用向きの竿として作られてきました。その素朴でなおかつ朴訥な外観が竹竿っぽいと今でも得意客が絶えません。特に竿を継ぐ印籠部分の出来がとてもよく作られていてこの竿も凸部分と凹部分の無駄な隙間が一切無くて鬢付け油を塗って継ぐとピタッとハマる感触は思わずうならずにはいられないほどの出来栄えです。
でも、魚釣りの道具です。
使ってなんぼの世界です。
穂先なんて折れた痕があり、竿敏でガイドを付け替えてもらって使用していたようです。
私もいつの頃からか石鯛釣りでは和竿しか使わなくなり晴れの日も雨の日も、波飛沫を被ろうがウネリで水没しようがお構いなしで和竿を使用しています。
わざと乱暴には扱う気は毛頭ありませんが一本一本調子が違うところが趣深く、石鯛を釣るための道具ではあっても実はそれぞれの曲がりを愉しむための道具が和竿であると確信にも近い想いがありますので大事に大事にとことん使います。
最近ではホントに珍しく貴重なオリムピック社製のオクトパスNO5のリールシートが付いています。
来週の11日に妻良の磯で沼津潮倶楽部の9月度例会があるのでその時に使ってみようと思います。
どんな曲がりを愉しませてくれるのか期待感一杯です。
では、また。