静岡県塗装看板業協同組合三島支部研修旅行PART 2
昨日の”シャチョブロ”の続きです。
川越の小江戸散策を終え、次は東京上野にある重用文化財、「旧岩崎邸庭園」へ。
明治29年東京下谷芽町に日本の建築史に残る洋館が建ちました。
三菱創設者、岩崎家本邸がそれであります。
設計はジョサイア・コンドル・・・近代建築の夜明けとともに新しい日本の建築文化が始まりました。
邸内細部には英国ジャコビアン様式の意匠を見ることが出来ます。使用されている木材はケヤキやナラ等の硬木が殆ど、床などは全ての部屋のデザインが違っていて全て寄木細工で造られています。使用されている木材の中には黒檀、鉄刀木等の高級木材がふんだんに使われています。
一階の列柱はトスカナ式の装飾が施されています。もちろんこれは手彫りの装飾。あまりの素晴らしさにため息がでました。へ〜〜〜。
2階列柱はイオニア式の装飾。溝の線が真っ直ぐに通っています。
どういう技術を使えば硬いケヤキの木をここまで狂いなく手彫りで掘れるのか・・・ほ〜〜〜。
一階東側の客室天井はシルクのペルシャ刺繍の布張りになっています。
各部屋の壁紙も和紙を型押しで色々な紋様が象られその紋様の凹凸部分を塗装技術により色分けされ、更に驚くことには壁下地に直にそれを貼るのでは無く、本襖の襖紙をはる要領で袋張りにしてあります。やはりため息が出ます。は〜〜〜。
これは暖炉の枠構え。石材を組み上げで造ってありますが、寸分狂わぬ精度。
この技を見たら例え言葉、褒め言葉等、見つからないです。ふ〜〜〜〜。
巧みなバランスで併設された和館は書院造りを基調に建てられ完成当時は550坪の規模を誇っていたそうです。施工は大工棟梁として、財政界の大立者達の屋敷を数多く手がけた大河喜十郎と伝えられています。使用されているヒノキは全て備州の本木。どの木を見ても節目、継ぎ目はありません。今の時代こんな材料探してもそうそう見つからないでしょう。またまたため息。はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
庭園側から洋館を望むと南側のベランダの列柱が立ち並び、壮麗という言葉はこの景色の為にあるのではないかと思うほどの美しさです。ベランダにはイスラム風のタイルが敷き詰められてそのタイルはイギリスのミントン社が特別に造ったそうです。
時間の都合でザクっとの見学でしたがもう一度ゆっくりと見学したいです。その時は社員の皆にも是非見てもらいたいと思います。きっといい勉強になります。
旧岩崎邸を後にして、不忍池まで歩いてくると何十人、いえ、何百人もの人達が行列を作っています。女性の姿は見当たらず殆ど全て男性です。比較的に若い人もいますがほとんどは初老の男性ばかり・・・
通行人に何の行列かと尋ねましたら、失業中の人達やホームレスの人達が炊き出しを貰う為に並んでいるのだと教えてくれました。
「・・・・」
今の日本の現状はこうです。
まだまだ働き盛りの人達が日々の食事、寝る場所にも困っています。この光景に胸が痛くなり、また、自分の無力さに落胆さえ覚えました。
なんともいえない切なさとやるせなさを感じながら上野を後にし、宿泊先の浅草へ。
宿泊先のホテルの12階からの眺望です。左は浅草花やしき。真中には素屋根に囲まれた浅草寺。浅草寺は現在改修工事中です。重要建築物の改修、修復には素屋根という足場材で造られた囲いですっぽりと覆われ風雨に曝されない状態で工事を進めます。浅草寺の向こうに見える建築中の塔は東京タワーに替わる電波塔のスカイツリ―です。
夕食は屋形船に乗って夜景と隅田川を渡る川風に包まれながら、お寿司や揚げたての天麩羅に舌鼓。
幸せです。日常の中の非日常に感謝。
最終日は台風20号の影響であいにくの雨でしたが朝から築地で本マグロと美味い日本酒で旦那衆を気取り、昼食は品川プリンスホテルの39階、トップ オブ シナガワでバイキングランチ、その後はよしもとプリンスシアターで吉本興業の若手漫才と吉本新喜劇で腹をよじらせ、涙を流しながら大笑いしてきました。
正直、コテコテの漫才と更にコテコテの吉本新喜劇なんて・・・なんて思っていましたが、あのギャグにつぐギャグ、ギャグの機銃掃射にはたまりませんでした。笑い声が声にならずに声が出なくなるまで笑わせてくれます。
5ギャップのホワイト赤マンはマジにヤバいです。あの笑いは窒息するのではないかと危険すら感じました。笑いすぎて息が出来ない!
必見の価値ありです。
今度は家族と一緒に行こうと思います。