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    黒鯛夜釣り大会、沼津港清掃、BBQ!徹夜です。

    土曜日の夜から私が所属する沼津潮倶楽部の黒鯛夜釣り大会が開催されました。

    黒鯛釣りに使う、沼津竿黒潮リール

    沼津竿とは黒竹、真竹を材料に用いて作った10本継ぎの中通し竿。言い伝えによると昭和初期の沼津に大変釣り好きな建具屋の職人がいて、それは仕事の途中に抜け出して釣りに行ってしまうほど。長い釣り竿を担いで釣りに行くといつも親方に叱られるので親方に見つからないようにその長い釣り竿を10本に切って分割し、細工をしてその10本を継げるようにして懐に忍ばせ釣りに行くようになったのが沼津竿の始まり

    それから昭和20年代には夜釣りの暗闇の中でも釣り糸が外ガイドに絡まないように竹の中の
    節をくりぬいて竿の中に釣り糸が通るように改良された。

    そのころ、故、山田茂さんという竿師が『竿茂』という銘で本格的に中通しの沼津竿を作り始めて一世を風靡した。昭和30年〜40年ころには『竿茂一門』として沢山の愛好者、弟子が集まり竹製の色々な竿を製作し、竿作りの腕を競ったそうです。

    そのころでも『竿茂』の沼津竿は高価であり、釣り人達の憧れのアイテムでありましたが買いたくても買えず、それではと大手釣り具メーカーがグラスロッド製の沼津竿そっくりの竿を作り、廉価で販売していたそうです。

    現在は『竿茂』の後継者はおらず、以前、東京辺りの伝統ある有名和竿師が製作を試みましたが沼津竿の調子を受け継げるところまでは到達できずに製作を断念。また趣味で沼津竿を作製する人もいなくなり新品の沼津竿(ここでは沼津竿としてのコンセプト、機能美を備えた和竿を沼津竿とします)は残念なことに完全入手不可能となってしまいました。

    『竿茂』亡きあと沼津市、我入道の通称:米屋のカズさんが沼津竿の製作技術を継承し、あくまで趣味として調子の良いちゃんとした沼津竿を長年作っていました。私も時々工房にお邪魔したり、フィッシングショーに同行したり、また時々黒鯛釣りにをともに楽しんだりしてして懇意にさせていただいていましたが、そのカズさんも残念ながら数年前に天国に召されてしまいました。

    独特の8:2の先調子(竿全体の竿先2分程が曲がるように作られている調子)ではあるが1キロ前後魚が掛かると良い感じで弧を描き、無理に竿を起こさなくても自然と魚が浮いてくる。
     

    沼津竿とはそういう竿です。
     



    これは黒潮リール

    このリールも沼津竿と同じく沼津産の発明品と言っても過言ではない逸品。

    沼津市の東洋電産の前身である東洋精機が昭和30年代〜40年代に作っていたリールで、当時の黒鯛釣り師は沼津竿とセットで使用していました。

    内部の作りはいたってシンプルで故障も少なく、全国的にも有名なリールですがすでに絶版

    私がこの黒潮リールを知った20年ほど前は当然、もう販売されていなくて入手困難なうえにプレミアが付いて3万円〜5万円でマニア間で取引されいました。最近では中古釣り具ショップにて売られていることがありますが、なにぶん欲しいひとが沢山いるので右から左と言う感じで売り切れてしまいます。

    最近のリールと比べますと使い勝手はさほどいいとは言えませんが、”チリン、キリン、チリン”というの響きのクリック音や釣り糸を巻き取るときの”キリキリキリキリ”音が郷愁を誘います。

    今は釣り竿もリールも最新テクノロジーを駆使したものが席巻し、溢れていますが何十年も昔の沼津竿、黒潮リールを用いての黒鯛釣りはタイムスリップしたかのように海を渡る夜風に吹かれのんびり、ゆるーりと楽しむのが沼津の黒鯛釣りの流儀と言っても過言ではないと思います。



    さてこれは何でしょう?

    正解は『さなぎ』。

    蚕の繭の中にはいっているさなぎです。繭を煮て絹糸の原料を取った後に残るのがこのさなぎですが、黒鯛釣りに何の関係が?

    黒鯛釣りに使うエサです。

    沼津は昔、片倉工業(大岡)、麻糸製糸(大岡)、石橋製糸(高島本町)などの製糸工場があり各工場からこのさなぎが大量に廃棄処分されます。昔はそのさなぎを狩野川に捨てていました。今では到底考えられませんが・・・のんびりしてたんですね。

    さなぎにはタンパク質、アミノ酸が多く含まれていますのでこの川から流れてくる御馳走を魚たちが見逃すはずありません。そして狩野川河口から潮の流れに乗り沼津の内浦湾に入り込んでくるそのさなぎに黒鯛が付きました。

    黒鯛は元来、雑食性の魚ですので割と何でも食べますが毎日流れてくるさなぎを黒鯛が水面まで浮いてきてパクン、パクンと食べている様を釣り人が見つけ、さなぎをエサに釣りをしてみたところ黒鯛が爆釣して、さなぎ釣法が生まれました。

    ですからさなぎ餌による黒鯛釣りは沼津釣法として沼津が発祥の地となり全国に広まり、今に至っています。


    で、黒鯛釣り大会はと言うと・・・沼津江浦の網干し場にて一晩中朝まで粘りましたが一枚も釣れませんでした。

    相変わらず潮色が悪く、通称:田植えっ潮。緑色に茶色が混じったような潮色で海水の上層と下層の水温差が激しい時はこのような潮色になることが多いです。この潮のときには殆どの魚は活性が低く、釣りや漁には不向きです。


    朝まで釣りをした後、沼津潮倶楽部恒例の沼津港清掃を行いました。



    私が所属する沼津潮倶楽部は磯釣りクラブとして発足して35年が経ちますが、発足時に地域の為に何かボランティアが出来ないだろうか、という考えのもとから沼津港の清掃活動が始まりました。


    発足以来35年間一日としてこの沼津港清掃活動は休んだことがありません。
    雨が降ろうが、槍が降ろうが、台風で飛ばされそうが1日も休んだことがありません。
    おかげさまで継続30年を機に静岡県と沼津市から善行功労賞を頂きました。
     

    継続は力なり。



    これだけのゴミが集まりました。

    各方面での啓蒙活動により10数年前に比べだいぶゴミのポイ捨てが少なくなってきたように思います。昔はトラックに満載となるぐらいにありましたから・・・

    沼津港内の釣り場もゴミのポイ捨ては少なくなってきましたが、エサのアミエビ、沖アミから出る汁を釣り人みんなが洗い流して行ってくれると次の日釣りに来た人が気持ち良く釣りが出来て、なおかつ連鎖反応できれいな釣り場環境が作れると思います。

    沼津には沢山のいい釣り場がありますが釣り人のマナーの悪化により立入禁止を余儀なくされた好釣り場が多々あります。今後立ち入り禁止の釣り場が増えないようにマナーを守り、楽しく釣りを楽しんでもらいたいものです。













     

    沼津港清掃が終わり、そのあとはこれまた恒例の沼津港食堂街でのブランチ。
    『にし与』さんで魚河岸定食、1050円をがっつりと頂いて帰宅して、釣り道具を洗ったり、整理したり、片付けたりしているうちに午後3時。

    正直、土曜日から一睡もしていないためもうフラフラ。

    でも、今日は清水町の南小学校隣にあるブライトタウンのBBQ大会に呼んで頂きましたのでそろそろ駆けつけなくては!

    ブライトタウンとは清水町のサンケン工務店さんが分譲、施工した分譲地で19軒のお宅から成り立っています。

    19軒の家族が一つの家族のように助け合い、支えあって生活していていつも和気あいあいの雰囲気がいっぱいです。

    各お宅の塗装工事を担当させていただいた関係で毎年声をかけて頂き、一緒に楽しませていただいています。新築当時の現場監督さん以外なぜか業者は私だけなのですが・・・ま、いっか。


    お?子供たちが並んでる!なんだ、なんだ?


    スイカ割りだー! しかも木刀かよ!


    チョイ右!そー!行けー!どかっ!!みごと!命中!


    ここ、ブライトタウンのビッグママ、O様です。

    ここの中心的存在のお母さんで、面倒みの良さは他を寄せ付けません。

    ・・・しかしまぁ・・・なんかだらしなく酔っ払ってますね。
    疲労困ぱいの体にはビールは効き過ぎますよ。ホント。


    フォークギターを抱え、子供たちを集めて何を歌うのかと思えば・・・

    アンパンマン!

    ブライトタウンの中では一番最初の住人となったY様。ここの宴会部長さんです。

    私より10歳年上で普段はルノーに乗り、通勤には真っ黄色のビッグスクーターを駆る。休日にはD,Y,I とスキューバダイビング!

    疲れるということを知らないおじさまです。

    夜8時。一通りの片付けも終わり、来年のBBQ大会のお誘いを頂き、それぞれおやすみ〜と言いながら帰路に付き、私も今日はおとなしく帰還しました。

    流石に38時間ノンストップは眠すぎます。では、おやすみなさい。

    コメント
    阿部哲夫 様
    はじめまして。全磯関東支部潮風会の阿部と申します。2010年6月オーナーカップではご苦労様。ウチの会の福田が藤川さんから毎年お誘いを受け、わたくしにも回ってきて、動員のような参加でした。いえ、福田ともども毎年参加するようにいたしますのでよろしくお願いいたします。あ、三島の田中屋では新宿の花屋というと分かります。懇意にしてもらっています。
    さて実は、竿茂で検索したところヒット。貴ブログも知りました。以前は探しても情報がなくてがっかりしておりましたところ、おお、藤沢さんのブログにあった、さすが地元と感激した次第。以前から中通しの竿茂は一度手にとって触ってみたいと思っておりました。
    その周辺のことは、拙ブログの、さかなちゃん、に竿茂の5本継ぎ石鯛竿の記事を書いております。
    http://siokaze1.cocolog-nif...
    また、先達の磯釣りというシリーズで拙ブログに書いているのですが、その4に戦前の沼津のクロダイに触れております。戦前の中通しと思われる写真があります。
    http://siokaze1.cocolog-nif...

    また別に、ウチの会の若手が管理人で潮風会のHPがあります。
    http://www.h5.dion.ne.jp/~s...
    会員数はごくごく小さな会でありますが、関東支部の中ではそこそこ内容充実のHPを展開しております。平成13年から毎年の例会の釣行計画釣果の詳細があります。右の写真クリックで詳細が展開します。ご笑覧ください。
    http://www.h5.dion.ne.jp/~s...
    10/07/04 10:06
    webmaster 様
    阿部哲夫様。
    コメントありがとうございます。
    先日の第7回オーナーカップ東日本石鯛選手権大会にご参加いただきましてありがとうございました。
    当社HPのブログ内の「竿茂」でヒットしたとのこと。私は残念ながら竿茂の沼津竿は持っていませんがどれも8:2調子の良い沼津竿です。以前、江戸和竿の竿敏さんが作った沼津竿を手にとって見て見ましたが、竿敏さん特有の柳調子である為、糸の出が悪くてこれでは沼津竿としての機能を持ち合わせてはいないと感じました。同じ矢竹を使用していても作り手によってこんなに違うものかとある意味竹竿の奥深さを知った次第です。竿茂一門の方が作った5本継ぎの石鯛竿も持っていますが、うーんこれはちょっと・・・と言う感じで使用してはいません。竿つくりと言うものは難しいんですね。ただ、オクトパスの5番が付いている為に処分出来ないと言った感じです。
    実は貴殿のHPも時々ではありますが拝見させて頂いております。私ぐらいの年代の人間が知らない事がかいてあり実に勉強になると以前から感じていました。全磯も時代の流れのなかで転換期を迎えつつありますが先月の全国支部連合研修会でも本部役員の先輩方の尽力にはただただ脱帽です。静岡のこのあたりで私ももっともっと各方面の為に頑張らねばと思いますので今後ともよろしくお願いいたします。福田様にもよろしくお伝えください。このたびは当社HPをご覧いただきましてありがとうございました。
    10/07/06 11:02
    阿部哲夫 様
    ありがとうございます。そうですか、拙ブログをすでにご覧になっていらっしゃった。恐縮至極。竿茂が一門を成していたというのは知りませんでした。時代からいって、弟子奉公というのではなく、世話好きの竿師が竿作り教室を開いたりして、セミプロを輩出したり、中には生業を捨て自称プロになったのはよいが大変だというような事例はいくつかあるようです。東作一門でもあります。沼津竿はおもしろい。黒潮リールもおもしろい。地方の昔の釣り竿の伝統は延べ竿が基本ですが、同時並行して需要があれば継ぎ竿のセミプロからプロが成立していたようです。京都をはじめ、郡上、高崎、盛岡、庄内。その他、知られずに滅びた地方竿があると思います。城下町には矢師がいて、塗師がいて、良い釣り場と名物の魚、釣りにうつつを抜かす釣り道楽のアホが大勢いたら。かなりの確率で、釣り竿需要が自然発生したでしょう。竿茂はむしろ最近という時代ですから、ちと背景が違います。
    ハゼ竿では中通しは普通ですね。中通し沼津竿もその延長であることは間違いないのですが、戦前のリールの浸透普及は沼津でいちはやく進行し、リール釣りが普通になった。木コマの投げ釣りも沼津が先進発祥地。立派です。
    ところで、5本継ぎの石鯛竿は竿茂の銘が入っていないのでしょうか。作りはウチにある竿と同じようなものでしょうか。
    10/07/06 19:22
    webmaster 様
    阿部哲夫様
    コメントありがとうございます。
    本日のブログに「竿茂一門」の5本継ぎ石鯛竿をアップしました。見てみてください。
    ここのところ貴殿の”さかなちゃん”を眼精疲労で頭痛がするほど拝見させて頂いております。人魚会の谷島さんのブログ拝見しました。築地へお見舞いに行った事、お通夜に行った事、全磯連の昔の話で谷島さんの尽力等々・・・色々と思い出しました。とっても大きな方でした。
    うちの名誉会長の藤川のうしろを付いていく事で沢山の先輩方と懇意にして頂いておりそのおかげで現在の私の立ち位置があるとおもっております。
    阿部様とのこの様なつながりもそれが無ければ実現しなかったのではと感じます。
    これからもどうぞよろしくお願いいたします。
    10/07/07 22:59
    阿部哲夫 様
    いやいや、どうも、ありがとうございます。
    なんと眼精疲労。ははは。恐懼に耐えず。おそれかしこまるです。江戸時代か。拙ブログ、さかなちゃんは長い、読めないよ、という声は身近なところからもあります。また、竹竿ファンであっても、ある程度以上のレベルの知識と経験がないと読んでも半分は理解出来ないかも。知識経験が少ないとしたら、おもしろがり遊び楽しむという心だけは必要。この、こだわりこそ、趣味、道楽の基本でありしょう。いろいろなマニアもいれば、オタクもいらっしゃる。しかし、隠れ固定客の読者はかなり存在して、アクセス解析から分かる。結局、語れる人は探せばいらっしゃるかも知れないが、そこそこ書く、書ける、人は少ないからだ。またさらに、一定以上の知識経験を持つ人の中で、世代的にパソコンをこなせて、ネットやっている人がごくごく少ない。という一点において、拙ブログの希少価値があるかも知れないですな。
    10/07/09 08:15
    webmaster 様
    こんばんは。コメントありがとうございます。眼精疲労になるまで貴ブログに引きこまれぐぐぐっと読んでしまいます。探求心あふれるこの知識は感服の一言です。ウド根で出会った方はどなたでしょうかね。私の知る限りでは「竿茂一門」の方たちで現在石鯛釣りをしている人は聞いた事がありません。竹竿を自作している方はちらほらいますが静岡県支部長の長谷川氏も石鯛竿を自作しています。独学ではありますが沼津フィッシングクラブの飯塚氏はセミプロ級の和竿を作ります。最近は細身で石鯛の引きをより楽しめるような和竿を目指して作っているようです。最近は深川磯研の小笠原さんと和竿談義を楽しんでいるようです。しかし和竿は奥が深く、未知な部分が多く楽しくも難しい釣り道具ですね。
    10/07/10 01:17


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