トヨタテクノミュージアム産業技術記念館その2
こんばんは。
”シャチョブロ”です。
昨日に引き続き、トヨタテクノミュージアム産業技術記念館です。
プレス機が無いころは大きな木槌でフェンダーなんかをたたき出して自動車のボディーを作っていたんですね。
板金職人さんの高い技術がここにも息づいています。
1936年4月に完成したトヨダスタンダードセダンAA型です。
1942年12月までに1757台が生産されました。
約6年で1757台か・・・。
コツコツと手作りで作っていたんですね。
現代の大量生産、大量消費のスケールからは想像が付きませんが、このコツコツがあったからこを今の大量生産体制が育っていったんでしょう。
ボンネット上に鎮座するエンブレム「豊田」。
漢字での豊田を象ったエンブレムが日本でもこれだけの自動車が作ることが出来るんだ!といった誇りが充満しています。
トヨタトラックです。
荷台は木製。
その時代まだまだ高価すぎる商業車。
きっとこのようなトラックを持っていた会社はステータスシンボルとして羨望のまなざしで見られていたでしょう。
トヨエース。
メッキがあまり使われいないので凄く可愛く仕上がっています。
今、このデザインでちょっと小振りに作ったら意外と売れそう。
いつかはクラウン。
ボディーサイズの割にボンネットが長くて、高級車って感じです。
国民車のカローラ。
とはいってもその当時の日本国民はみんな買えたんでしょうか?
やっぱそれなりに高価であったんでしょう。
時代考証の知識が無いのでさっぱりわかりません。
あ〜、これは覚えています。
セリカGT。
たしか小学校5,6年生の頃に流行ったと記憶しています。
GTって付いた車はすごく速いんだ!って思っていました。
でも、この頃はサーキットの狼という漫画も流行っていてフェラーリやポルシェ、ロータス、ランボルギーニといった最高速300キロ越えの車が世界にはあるんだ〜と思うとセリカGTがいくら速くっても・・・。
敵わん。
まだまだ日本は敵わん。
なんて友達同士で騒いでいました。
2500トンプレス機で型押しされたボディー成型部品の一つ一つの美しさと言ったら正直唸りますよ。
もうオブジェです。
芸術品です。
向こうに見えるお姉さんもすっかり心奪われてました。
このトヨタ産業技術記念館は面白かった。
もっとくまなく見ていたかったです。
この日の最後は名古屋城。
天守閣の展望台に着いたのが観覧時間締切15分前。
エレベーターで駆け上がってみたのがこの景色。
高すぎず、低すぎず、絶妙な高さからの眺め。
これ、絶対計算された高さです。
しかし、中では中国からの観光客でごった返していました。
面白いですよ。
エレベーターにこれ以上乗れませんってブザーが鳴っているのにそれでも乗ろうとしてくる。
乗っている日本人が何故か「ノー!ノー!」と訴えてもそれでも乗ってくる。
ブザーが鳴る意味が解っていないのかな?
中国のエレベーターって無制限なのかな?
それとも乗ったことが無いのかな?
お国変わればってことですかね。
私達も海外に行ったら気を付けなければならないことって実はけっこうあるんでしょうね。
知らないだけで。
次の日は夜遊びが過ぎた眠い目をこすりながら岐阜県の恵那峡まで足を伸ばしました。
関西電力が作ったダム湖を遊覧船で回りながら花崗岩の巨石、奇岩を眺めての約30分。
昨日は人の英知の歴史と塊を観て、今日は自然の偉大さと不思議さに感嘆。
長野市の飯田に立ち寄ってリンゴ狩り。
もうみんな気だるく疲れてしまって実際脚立に登って”狩った”のは一人だけ。
一人でみんなの分を”狩った”ナグッチャン、お疲れ様でした。
リンゴ狩りって言っても実際、そんなに食べられるもんでもなく一人1個がいいとこです。
それにしても果物ナイフを手慣れた感じで持っちゃってあんまり洒落にならないですね。
アブナイよ〜。コワいよ〜、Tさん。
食用では無い姫リンゴがたわわに実って綺麗でした。
無事2日間の研修旅行も終わり気だるく帰ってきました。
ずーっとバスってのもけっこう疲れますが今年の旅行もなかなか楽しいものでした。
あ、現場もなんだかんだで進んでいますよ。
来週からまた現場ネタをアップしていきます。
では、また。